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ママだって褒められたい。毎日の家事育児、もっと認められたい。

家事育児は、褒められたり評価されたりすることが少ないもの。

「母への感謝」「女性と子どもを大事に」というのは、多くの人が頭ではわかっているし、言葉で伝えられる機会もあります。

しかし、日常生活の中では実際のところ、母親業の苦労を褒められたり、正当に評価されたりすることは少ないものです。この記事では、家事育児をもっと評価してほしい、褒めてほしいと思っているお母さんたちに向けてお話をしていきます。

現代の家事育児の実情はこんなにもハード!

Photo by Luiza Braun on Unsplash

現代の家事育児は、母親ひとりで子どもを見るということが前提になりがちです。

地方では2世代3世代同居の「拡大家族」も多いですが、現代の一般的な家族イメージは核家族。周囲に気軽に頼れる人がいない環境で、母親が背負っている負担はいったいどのくらい大きいのでしょうか。

休日がない。onもoffもない。

家事育児には休日というものはありません。家事も、育児も、私たち家族がそこに「生きている」限り、誰かがやらなければならないことです。

その家に、誰かが生きている限りです。

まったくの休日、完全なるフリーな日というのは母親にはないことが多いのです。

目覚まし時計は子どもの鳴き声や、動き回る気配。時には寝ている自分の髪の毛を引っ張ったり、顔を叩いて起こしてきたりすることもあります。授乳や産後の不調など、もちろん体が万全なわけでもない。

食事の支度と子どもの安全確認は常に同時進行。兄弟喧嘩の経緯を左耳で聞きながら、右耳でお鍋の煮え加減を聞き分けます。

用意したばかりのものをひっくり返される、掃除したばかりの床に牛乳をこぼされるなんてことは、当たり前の光景です。やっとひと段落ついて、洗濯物を干そうとすれば、オムツのポリマーで衣類もシーツも全部台無し。

これが、ほとんど毎日続くのですよね。onもoffもありません。

自分のしたいことを選べない

休日がない、onやoffの切り替えがほとんどないのが現代の母親です。

自分の時間がとても少ない、しかも限られたわずかな自由時間にできることと言ったらものすごく狭い範囲になります。

例えば、子どもが寝静まった夜10時~12時までの間、家の中で静かにできること。

お金もそれほどかからず、準備に時間を取られたり、部屋の場所を取らないようなこと……というように、かなり厳選されてしまうのですね。

仮にフリーな時間ができても、自分のしたいこと、やりたいことをなんでも選べるわけではない。どこかに出かけたくても、まずはスケジュールの調整をして、子どもを誰かに「お願いします」と頭を下げて、あれもこれもと準備を完璧に済ませて、それからでないと出かけることすらままなりません。

そんな事前準備は、日常の充電30%くらいの状態では「する気にもなれない」ということが多いです。

子どもが小さいうちは、どうしても「母親業」を優先するしかなくなってしまう。それしか選べないし、それが最も効率のいい生き方のように感じてしまうこともあるのではないでしょうか。

認められたい、褒められたいと思う自分を責めてしまう

こんなに頑張っているのに。こんなに休みなく働いているのに。

そんな自分の頑張りをもっと褒めてほしいし、認めてほしい。

そんな風に思うのに対して「母親として家事育児を褒められたり、認められないとに不満を持っている自分」というものに対しても、情けなさや恥ずかしさを感じることがあります。

どんなことも笑って吹き飛ばせる肝の据わったお母さんになりたい。誰もがやはり心のどこかに「寛大でどっしり構えたお母さん」をイメージしてしまうのですね。

でも実際は些細なことでイラだってしまうし、自分の欲求や自由になる時間を求めている。子どもと一緒に過ごす時間より、一人で過ごせる時間を欲している。

何のために母親になったのか……という気持ちにすらなってくるわけです。これはやはり「母親」という偉大なるイメージと、現実の負担量のギャップに原因があるでしょう。

お金を稼いでいないことへの負い目

専業主婦には、どうしても「お金を稼いでいない」という負い目を感じてしまう節があります。

子育てという大仕事を担っているわけですからお金など稼げなくて当たり前なわけですが、それを「負い目」「ハンディ」のように感じてしまう女性は多いはず。

もちろん女性だけでなく、男性でもそのように感じたり、口にしたりしてしまうことがあるでしょう。

子育ては、何にも代えるえがたい経験。お金に換えることができない価値を持っている。それを誰しも頭では理解できていても、本当の意味で納得できていないのかもしれません。

育休中でも「早くお金を稼ぐために復帰しなくては」という焦燥感があったり、「社会に戻らなくてはいけない、でも戻りたくない」という気持ちの間で揺れていたりします。

社会的なポジションを維持すること、そしてお金を稼がなくてはという焦り。これも、母親を追い詰めてしまう一因となっています。

なぜ、これほど母親業に負担がかかっているのに、世間の人達はそれを認めないし、褒められることが少ないのでしょうか……?

家事育児など、母親業を褒められたい……これってわがまま?

Photo by kevin laminto on Unsplash

家事育児などをもっと褒められたいと思うのは、わがままなのでしょうか?

人格のできた女性なら、褒められなくても、誰も見ていなくても、目の前の子どものために全エネルギーを注げるものなのかもしれない。

自分で欲しいと望んで産んだ子の育児に、賞賛や承認を求めるなんてただのわがままなのかな?

そんな風に「苦しい」と「苦しいと思ってはいけない」の2つの気持ちの間で揺れてしまうことがありますよね。

現代のお母さんたちが「もっと認められたい」「褒められたい」と思うのは、わがままでもなんでもありません。人として自然な欲求、声であることを、社会的な構造から解説していきます。

社会の目まぐるしい変化に、取り残された「母親の負担」

主婦業も母親業もやって当たり前、できて当然なのでしょうか。

今から50年ほど前の日本では「産めよ増やせよ」というスローガンの下、子どもをできるだけたくさん産み育てていいこうという国の政策がとられていました。

その頃は当然今の社会や家庭とは全く違う文化。自分の子どもと他所の子どもという垣根がなく、子どもは地域でごちゃ混ぜになって育つというのが当たり前でした。

しかし、その後戦争が起こり日本は敗北。戦後の日本では、産めよ増やせよという政策から打って変わって「子どもは1家族につき2人まで」という人口抑制策を推進することになります。

細かい説明は省きますが、わずか数十年の間に日本の子育て事情は大きく変わったのです。

家族の人数が多く拡大家族として同居するのが当たり前だった時代から、現在は核家族化が進み、地域交流も減少しています。

母親が24時間365日、1~複数人の子供の面倒を「ひとり」で見るということも珍しくなくなってしまったのです。

家の中に、祖父母や曾祖父母がいて面倒を見る人や相手をする大人が複数いる。そして遊び相手となる兄妹もたくさんいて、子どもが退屈しないという家族構造から打って変わって「母親1人と子ども」という、非常に閉鎖的な家庭に変化しているのです。

昔のような母親たちは、家事育児を今ほど「褒めてほしい」「誰かに認められたい」と思ったでしょうか。

頼れる場所や大人の手が複数あるような環境では「家事や子育ては誰かに褒められるためにやるものではない」という考えが普通だったかもしれません。たくさんの大人たちの中に、母親も交じっているというような配置でした。

今ほど母親に課せられる負担の量は多くなかったし、責任の重さも少なかった。だからこそ「もっと認められたい」などと思うこともなかったし、細かいことなど気にしない「肝っ玉母さん」でいられるのも頷けます。

しかし、その後国の政策や社会は急速に変化しました。

「家事育児は難なくできて当たり前」という価値観そのまま、母親抱える負担の大きさだけは変わってしまったのですね。

負担の大きさと、世間の常識を天秤にかけている

Photo by Leonardo Iheme on Unsplash

家事育児をつらいと思うなんて母親失格なのでは?

母親が「褒められたい」などと承認を求めるのは、わがままで幼稚なことなのではないか?

そんな、ふたつの気持ちの間で葛藤しているお母さんは多いはずです。

しかし、そんな葛藤や憤りを感じるのは当然なのです。

人々の中には、大きくどっしりで構えることができる「肝っ玉母さん」的な強さをもった昭和の母親のイメージがまだまだ強く根付いているかもしれません。

しかし実際は核家族のワンオペ育児が「どこも当たり前」の世の中。

24時間365日気を休めることができない。自分の好きな趣味に没頭する時間など到底持てない。

座って食べる、ゆっくり眠る、トイレに行く、風呂に浸かるといった当たり前のことすらできない現状があります。

家庭や地域によっての差はありますが、現代では「母親が子どもをひとりで見ることも、ワンオペ育児に耐えるのももはや当たり前」という風潮さえ生まれています。

さらには「それくらいのことに耐えられなくてどうするの?」という見方をする母親まで出てくる始末。

そこには「私だってつらかった」「みんなつらい思いをしながら育児しているんだ!」という、怒りがある。声を上げられない人や、助けを求めることに罪悪感を抱く人も多いのです。

現代の母親が苦しい理由を、根本的に知る必要がある

Photo by Alexander Dummer on Unsplash

社会の変化は受け入れざるを得ません。毎日を現実的に、堅実に暮らしていくには社会や行政の批判をするのでは意味がないでしょう。

そこで大事なのは、このような社会的構造を理解した上で「自分たちの家族をどう作るか?」という視点です。

母親業は大変なもの。ワンオペ育児はどこも当たり前。家事育児にみんな耐えている。

そんな風に無理やり納得することで、世の母親たちの気持ちは楽になるでしょうか。

早すぎる社会の変化、国の政策があり、そこに個人個人の価値観や生物学的なプログラムが追い付かないという構造を、多くの人が知るべきであると考えます。

なんでこんなに現代の母親が苦しいのか、その理由がわからないと理不尽さばかり感じて余計に苦しくなるだけです。そこで、多くの子育て世帯に「どうして現代のお母さんがこんなにも苦しいのか?」という構図をしっかり知ってほしいのです。

母親業の軽視は子どもの軽視

子育て中の女性を軽視することは、一見「女性軽視」や「男尊女卑」といった、女性の立場を低く見積もっているように見えるかもしれません。

しかし、私としては「母親業」を軽視するということは、子どもの価値を低く見積もる「子ども軽視の社会」であると考えます。

子どもの面倒を休みなく見ている母親、ひとりの人間を生み育て、社会に送り出していく大役を担う母親。その毎日の仕事を軽視するというのは、子どもという存在を甘く見ている証拠ではないでしょうか。

子どもを大切にしない社会に、将来などありません。私たち現代の大人が高齢者になったとき、この国や世界を回し、支えてくれるのは今の子たちなのです。子育てや家族づくりにおいて、そこまで見えている人がいったいどのくらいいるでしょうか。

家事育児を「自分で」「自分たちで」認める、褒めることから

Photo by Thiago Cerqueira on Unsplash

現代の母親が担っている役割と負担の量は、どんどん増えていることがわかりました。

やはり今のお母さんたちはもっと褒められるべきだし、社会的に認められるべきです。

まずは家庭の中で「男性が女性に対して敬意を示す」ということが必要ですね。最も身近な夫からの承認は、女性を元気にするし、満たしていきます。

そして、女性自身も「お金や社会的地位に振り回されない」という強い意志を持つことも必要ではないでしょうか。他者からの評価というのは、とても不安定で不確実なものです。「誰か私を認めて!」と他者に評価を投げても、思ったほどの効果は得られないもの。「自分で自分を認める」という努力を積み重ねていくことも大事です。

家事育児とは「人が生きる上での基盤を整える仕事」であり、それを担っていることに自分自身で誇りを持たなければなりません。誰かが認めてくれなくても、自分で認める、自分で褒めるということは非常に大切なのです。

目の前の子どもたちは「母親の日々の積み重ねによって成長していること、生きていること」を実感してください。

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この記事を監修している人

SFR代表理事:鶯千恭子(おうちきょうこ)

精神保健福祉士●保健師●養護教諭1種●心理EMDRトレ他

保育士や子育て中のお母さんたちへの講演実績多数。

「心育て」「人格形成」のスペシャリスト。

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