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【女性の仕事と育児の両立】たまらない罪悪感から逃れたくてフリーランスになった私が今思うこと。

長男の卒園式、私は溢れる気持ちを抑えきれずに声をあげて泣きました。一番の理由は、もちろん息子の成長した姿、誰よりも感極まって号泣しているその姿に感動したからです。でも、その心の裏側には「これで罪悪感から解放されるんだ、もう自分を責めなくていいんだ」という大きな安堵があったからなのです。

罪悪感と保育士さんと仕事と共にあった私の育児

”働くお母さん”が子供を預ける場所、それが保育園。朝は毎日が戦争です。時間との勝負、脳内にあるのはこれから行く職場での仕事のことと、目の前にいる小さな我が子への愛おしさ、そして罪悪感でした。私は今フリーランスとして独立しているので、会社に出社はしないスタイルで働いています。そうなりたいと思ったきっかけもまさに、一言で言うと「罪悪感から逃れたかったから」。

子供が熱を出すたびに頭を下げ続ける自分、上司や同僚の目、体調不良の息子を私が迎えに行くまで見てくれている保育士さんへの申し訳ない気持ち、母親として悪い事をしているような思いを背中に抱え、会社から保育園まで何度も走りました。そのたびに思うのです。

「私って、なんのために働いているんだったっけ?」「急に仕事を抜け出してきてしまって、引継ぎは大丈夫だろうか」「また休むことになったら、上司に電話で謝らなければ……」「子供にこんな寂しい思いをさせて、なんてひどいんだろう」

そんな思いが一度に溢れて消えてくれないのです。長男が生まれて7ヶ月で仕事に復帰してから、6歳の卒園まで、ずっとずっと、ひとりきりで戦っていました。子供も徐々に身体が丈夫になっていきますし、息子は保育士さんや優しいお友達に囲まれ、保育園にいけば楽しそうでしたが、本当の胸の底のつらい気持ち、葛藤はなくなることはありませんでしたし、洗いざらい誰かに話せたことは一度もありませんでした。

経済状況や環境から、働くことはやめられない

当時、旦那さんは職を転々とし、わずかな児童手当でさえ勝手にギャンブルに使ってしまうような精神状態でした。

家では常にイライラして怒鳴り散らし、私が子供の夜泣きにひたすら付き合った翌日の朝にも「お前らのせいでよく眠れなかった」と私と子供を責めました。本当ははじめての子をゆっくり見てあげたかったのですが、どんどん苦しくなる家計を支えなければ生活は回りません。実母は1人親で介護をしており、現役でフル勤務。義両親は遠方な上に高齢で病気がち、生活保護世帯です。私の兄弟はそれぞれに結婚、育児に忙しくとても頼れません。

旦那さんがいつの間にか借り入れていた借金も発覚し、意を決して保育園を探し、何もかもをほとんど一人でこなしました。それでも、わが子への愛情だけが私の原動力であり、とにかく乗り越えなくては、と必死だったのです。

でもここで言いたいのは私の苦労話、不幸自慢ではありません。ここから始まった仕事と育児の両立が、私に毎日の罪悪感をもたらすのです。

仕事にはやりがいがあり、数字を出して評価を受けていた

家庭の内情はさておき、私は仕事にも誇りを持っていました。大した学歴もありませんでしたが、努力を認めてもらえたことで社員として重要なポジションを任せていただき、数字を出すこともできていたのです。頭の片隅には常に子供の笑顔や想像した泣き顔がありましたが、同時に「頑張ってもっと結果を出したい」という意欲もちゃんとあったのでしょう。

だからこそ、子供の調子が悪い時に大きな罪悪感を覚えました。その気持ちはたったひとことでは言い表せない気持ちです。「大切な我が子が大変な思いをしているというのに、仕事に後ろ髪をひかれる自分へのうしろめたさ」のようなものと、「母になったことを分かった上で仕事をしているのに熱を出すたびに嫌な顔をする会社への嫌悪感」もあったように思います。正直、会社の人間関係や体制は、いいとは言えないものでした。

それでも、もしも私がひとりですべてを考え、決断しなくてもいい環境にいられたら。仕事と育児の両立に対して気持ちを分かってアドバイスしてくれる人がたったひとりでもいれば。子供が熱を出したときに1時間でもいいから代わりにお迎えに行ってみていてくれる親類がいたら。もしかしたら私は、当時の職を辞めていないかもしれない、そう思う自分もいます。

なんとか毎日を過ごし続け、旦那さんも定職に就き、家計もおだやかになってきた頃には3年以上経っていました。そのころ、次男の妊娠をきっかけに、一度自分を見つめ直すため退職、保育園もやめました。その時にも「寂しいです、もっと一緒にいたかったです。」と言ってくれた保育士さんや主任先生には、感謝しかありません。

「働いていても、子供の元へすぐに飛んで行ってあげられる自分になる」と決意した

わずかに長男と家で過ごした時間は、それはそれは楽しくて幸せでした。まるで今までの時間を取り戻すような心地がし、母として心から嬉しい日々だったのをよく覚えています。母性が満たされ、「私は子どもと一緒にいてあげたかったんだなあ」と自覚したのも事実です。

——でも私が自分の罪悪感と向き合い続けた結果として、今のスタイルがあります。なぜ罪悪感を抱えるかと言うと、育児も仕事もおろそかにしたくないから。どっちも大事だからこそ、とても苦しいんですね。今でも思うのは、仕事に行っている間に保育園で長男が初めて歩いたのが、やっぱりショックでした。仕方ないことなのに、素直に喜べず、それすらも罪悪感で…。小さな子供がはじめての集団生活でウイルスをもらってくることに対して「申し訳ありません」と謝ることに理不尽さも感じていましたし、なぜ母親だけが、こんな思いをするのだろう?そんな気持ちも何度も感じたことがあります。

そこで次男が無事に生まれ、「仕事をどうするか」と考えた時、「もう二度と仕事にも子供にも罪悪感を感じない、そんな働き方を自分で努力してする」と決心したので、そこでしばらくは部品を検査する工場で派遣パートをしながら、フリーライターの仕事を始めました。今度は長男も次男も同じ保育園です。どこで働こうが会社に属しているうちは罪悪感はありましたが、徐々にフリーの仕事スキルを身に着け、そちらに比重を寄せていきました。

そうして、自分で独立した働き方を手に入れていきましたが、同時期にまた同じ状態になった旦那さんとの関係はとうとう破綻し、離婚を決めて個人事業主になったのが、長男の卒園の頃でした。色々な思いがあまりにも溢れかえり、涙が止まりませんでした。卒園の歌は「花は咲く」です。

真っ白な 雪道に 春風香る

わたしは なつかしい あの街を 思い出す

叶えたい 夢もあった

変わりたい 自分もいた

今はただ なつかしい あの人を 思い出す

誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましている

誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

岩井俊二作詞・菅野よう子作曲・内田ゆう子編曲

泣きながら、大好きな先生とお友達の中で一生懸命歌っている息子を見た時、どんな困難も乗り越えてやる、と心に誓った、忘れられない一生の思い出です。(余談でしたね。)

女性は、ひとりぼっちで罪悪感を抱えながら働くべきじゃない!

最後に———たまたま私は生い立ちも複雑で逆境育ちであったために、こうして今では自分のつらい経験などを生かしてメディア事業を行っており、好きな仕事ができていた会社を辞めたことに後悔はありません。むしろ、今の仕事が天職だと思っています。ですが、これは私個人の事例であり、もっと強く思うことがあります。もうこれからの時代は、女性の幸せ=結婚して家庭に入ること、だけではありません。女性は母となっても社会でもっと居場所を得られます。自分の夢だってキャリアだって、「母となったこと」だけを理由に諦める必要など本来はないはずなのです。

ここまで話してきたような罪悪感を抱え、誰にも言えずにひとりきり頑張っているお母さんは、今でも数えきれないほどいるのではないかと思います。けれど現代はネットが普及し、そんな複雑な思いに共感し、理解して手を差し伸べてくれる人があちこちにいるんだ、と知ることができる時代です。私のように、といってはおかしいかもしれませんが、罪悪感につぶされた結果自分の働き方を変えたパターンではなく、もっと自然に、心おだやかに、会社でもどこでも活躍できるママ(女性)が増えることを願っているのです。

だから諦める前に、そんな理解をしてくれる人の手を、握ってみてください。ちゃんと誰かに甘えること、つらいときに頼ること、しっかりとした情報を得ることが、何よりも仕事と育児の両立には必要なんです。子供にも愛情をしっかりかけながら、仕事も生き生きとやれる。なにより働くママでありながら心を壊さない。そんな時代がもうそこまで来ています。sourceは、仕事も育児も向上心を持って頑張りたいそんな女性を、ずっとずっと応援し続けていきます。