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働く女性の無意識には「女性らしさから出る怖さ」がある

女性の社会進出や男女平等、女性の人権など、性差に関する話題は話がつきないもの。

筆者自身、近年「女性という枠に収まりたくない」「女であるということがなんだか納得いかない」という思いに駆られていました。

女性らしい外見を求められること、アンケート記入時の性別欄で「女性」というチェックボックスにレ点を入れること、「かわいい」という言葉を使われることなど、ありとあらゆる場面で「女であることが嫌だなぁ」と感じることがあったのです。

それを、一時期は「私はジェンダーの問題を抱えているのか?」なんて考え過ぎたりしたこともあったのですが、最終的にそれは「女性らしさから出る怖さ」にあるのではないかという考えに行きつくようになりました。

体感ベースで語る「女性と仕事の成功回避動機」

成功回避動機という言葉を、聞いたことがありますか?

これは「成功している人よりも、ダメな人の方が可愛がられる」という固定観念によって、成功を避けようとする心理のことをいいます。

もしくは、上手くいく理由より、上手くいかない理由を考えて成功を避けたほうが、失敗したときに自尊心が傷つかなくて済むと考える思考も、成功回避動機と関係が深いとされています。

「幸せになるな」「楽しむな」というメッセージ

筆者はまさしく、成功回避動機の強い人間です。

成功するのが怖い、というよりも「成功することで周囲から見放されるのではないか」という怖さを感じていることに気づきました。

たとえば、日常のささいなことで言えば「こんな仕事が入ってきた!やったぁ!」という、純粋に嬉しい気持ち。仕事で評価され、嬉しい言葉をもらったとき。自分がコツコツ積み上げてきたものが、成果を出したとき。

私はそれを「聞いて聞いて!こんな嬉しいことがあったんよ!」と、言えないのです。逆に、自分が厳しい状況にあるときや、上手くいかないときの話は、それほど抵抗なくできたりもする。

なぜ、こんなことが起こるのでしょうか。

普通、嬉しいできごとや、自分が努力して掴んだ成功の話は、誰かに話して喜びを分かち合いたいものではないのか?そんな当たり前のようなことが、どうしてこんなにも怖いのか?

まるで、「その程度のことで喜ぶな」「自分だけ幸せになりやがって」「才能のある人はいいよね」「仕事ばかりしていて子どもをほったらかすんじゃないか?」「自分の成功のために他のことをおざなりにするなよ」「もうあなたとは付き合っていけないわ」という、強い呪縛みたいな声が聞こえてくるような気がします。

成功を口にしようとしたとき、何かを発表しようとするとき、前進しようとするとき。

そこには「幸せになるな」という強いメッセージが浮かんでくるのです。

「女性らしさの中から出るな」というメッセージ

女性が仕事で成功したり、思い通りの働き方を実現しようとするときも、成功回避動機が強まるとされています。

実際私の場合も「女性らしさ」や「女性としての役割」から出るんじゃない、というメッセージに縛られているように感じています。

「家の中から出るな」

「子どもと家庭に全力をつくして」

「自由にならないで」

「見捨てないで」

「行かないで」

自分が仕事で成功していく様子を思い浮かべると、確かにワクワクします。でも、その後ろの方にこういう声をかける何者かがいるのです。

漫画の中に、悪魔の自分と天使の自分が2人出てきて、自分自身を置き去りにしてそれぞれ勝手に意見を言い合うような感じ。

成功回避動機からくるメッセージをどんどん掘り下げていくと、どこか「私を見捨てないで」と言っている声に聞こえてきます

これはいったい何なのでしょうか。

「か弱い女性の方が可愛がられる、生き残れる」という社会の刷り込み

Photo by Al Soot on Unsplash

ここには「か弱い女性の方が可愛がられるし、男性に受け入れられる。男性に受け入れられることこそが、女性が生き残る手段である」という、昭和的な考えが眠っているように思います。

確かに、昔は男性主体の世の中でした。女性は男性の三歩後に下がり、男性を立てて、目立たず淑女として振舞う……という、現代では「古すぎる」とされている価値観です。

もう、今の時代に女性がこのような立場に立たされているとは思いませんし、そのように生きることを要求されてもいないはず。

私自身、夫や家族に「家事育児をしっかりやれよ」「仕事なんかするな」と言われているわけではまったくありません。

それなのにも関わらず、なぞの「見捨てないで」「自由にならないで」「幸せにならないで」という声がするのです。

この仕組みを紐解くには「集合的無意識」との関係なくして語れないと感じます。

集合的無意識とは?女性を縛っている見えない力

集合的無意識、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

集合的無意識とは、集団・国・民族・人類といった、非常に大きな規模の考え方や価値観のことをいいます。

人にはそれぞれ「コンプレックス」がありますよね。たとえば、昔いじめられっ子だったから内向的な性格だとか、外見に自信がなく恋愛に自信がもてない、といったもの。

そういう、個人の経験をもとにしたコンプレックスは、誰しも意識しているものです。

しかしコンプレックスというのは、個人を超えて「集団」「国」「民族」「人類」という括りにも存在しているのです。

女性は、男性には及ばない存在である、女性が社会に出ていくことは難しい、母親は家庭一筋でいるべき、母親が仕事に燃えていると子どもは寂しい思いをするなど……

こういうことは、日本人の集合的無意識に刻まれてしまっているのです。

「幸せにならないで」という声は、過去の女性たちの集合的無意識なのでは

Photo by Michal Pechardo on Unsplash

私が仕事に燃えていく中で「幸せにならないで」「見捨てないで」「行かないで」という声がするような感覚。

これはいったい何なのだろうと考えたとき、これは「過去の女性たちの集合的無意識」からきているのではないかと考えました。

よく、母親が幸せに生きていない家庭では、親は子どもが幸せになることを心から喜べず、足をひっぱり自立を妨げようとする現象が起こるといわれます。

「私より幸せにならないで」「私を置いて行かないで」という依存心です。

確かに私も、母親から「女の子らしく」「女の子なんだから」と言われて育った節があります。しかし今思えば、それほど強烈なものでもなかったように感じています。

「女性らしさ」の枠から出るこの怖さは、親の育て方の問題だけだろうか?と、前々から疑問だったのです。

時代もこれだけ男女平等・均等が当たり前になり、働く女性やワーキングマザーの存在が増え、幸いにも私はフリーランスという仕事と子育てを両立させやすい環境にいます。

夫も、私の仕事や収入を頼りにしてくれているし、応援してくれていることは分かっています。何も問題はないはず。

それなのになぜ、自由になる足を誰かが引っ張ってくるような感覚に引きずられるのか。

その正体は、個人の域を超え、数十年前から続いてきた「自分らしく輝きたかった女性たちの声」なのではないか……というところに行きついたのです。

日本はそういう価値観があるから仕方ない。

そんな風に考えていては、この国の現状や女性の生きやすさは変わらないのではないか。もしくは、女性であることに過剰に価値を持とうとしたり、男性を打ち負かそうという競争に走ってしまう「フェミニスト」といったものに、変化していくのではないか。

過去の女性たちの集合的無意識が、現代女性が自由になる足を引っ張ったり、暴走させているのではないか。そんな風にさえ、思いました。

これは「女性からの視点」で考えた場合です。逆に男性の方にも「女性をどう扱うべきか」「男性としての立場を奪われてはならない」というような集合的無意識からの声が聞こえている可能性もあるかもしれない。そんなことを考えてしまいました。

「女性らしさ」は本当に悪いものなの?

ここで一度、女性らしさ・男性らしさということについても考えておきたいと思います。

今の時代では「女性らしい」という枠に当てはめるような考え方はタブーとされていますよね。でも、本当に「らしさ」を大事にすることはいけないことでしょうか。

私個人としては、今までの古い価値観による「女性らしさ」がとても偏っていて、不自由だっただけなのではないかというように思っています。男性と女性には、それぞれ得意不得意の差があり、脳のメカニズムも違いがあるものです。

子どもが産めるのも、母乳を出せるのも、子どもの気持ちに共感しやすいのも、ささいな情報をキャッチしやすいのも、同時進行でいくつものことを考えられるのも、すべて女性らしさです。

これら女性の特性は、これから存分に生かしていかなければならない。逆に、男性の論理的な解釈や伝え方、身体の強さ、競争心や集中力なども、適材適所で発揮していく必要があります。

お互いを尊重するというのは、まずは性別による違いや構造を理解し、補い合うということです。

今までの「らしさ」は、国や社会が勝手に作ってきたもの。それを個人に置き換えることによって、それぞれが窮屈に感じていただけです。

既に社会は多様性を重んじるようになり始めていますし、集合的無意識から出始めている人もたくさんいます。

女性らしさを捨てるのでも、女性の役割を放棄するのでもない。これからは「社会的女性らしさ」ではなく「身体構造的な女性らしさ」を大事にしていけばよいのではないでしょうか。

働く女性、ワーキングマザーが成功回避動機を乗り越えるために

Photo by Standsome Worklifestyle on Unsplash

成功するのが怖いという話から、哲学的な話に展開してしまいましたが、社会の集合意識と個人の成功は大きく関係していると考えて間違いないと考えています。

ただ、私たち働く女性、そしてワーキングマザーは、こうした古い価値観や根強い集合的無意識を乗り越える必要があります。

答えはとても単純で「怖くても、進む」しかないのではないでしょうか。怖さを持ちながら、進むのです。

なぜ私たち女性が、成功を回避してしまうのか。今までの女性らしさの枠から出るのが、どうしてそんなに怖いのか。その理由は既にだいたい分かっているかもしれないし、この記事でなんとなくわかっていただけた方も多いのでは。

理由のわからない恐怖には立ち向かうことができません。しかし、理由がわかっていれば、思考と感情は切り離しやすいです。

「私たち女性は、こういう理由でうまくいかなかったんだ」

「私たち女性の怖さは、ここからきていたんだ」

と、自分なりに理解し、納得することができれば、その後は「じゃあ、どうしたらいい?」というように、考え方も行動も変えていくことができるのです。

女性が社会に出ていくこと、男性と変らない立ち位置になること。

それは、子どもに悪影響でも、女性としての価値を落とすことにも、絶対になりません。

今までの常識や当たり前といった、目に見えない集合的無意識から出ようとしているだけ。今までの偏った「女性らしさ」から出る前の緊張感を味わっているだけなのかもしれないのです。

一歩踏み出す女性が増えれば増えるほど、それは「新しい集合的無意識」に変わっていきます。

社会の常識や当たり前が変わるためには、ひとりひとりの意識が変わらなければなりません。怖さに立ち向かう女性、母親がひとり、またひとりと増えていくことによって、世の中全体が変化していくのは何ら不思議なことではないはず。

2020年以降、時代は急激に変化しています。それを誰もが肌で感じているはずです。

今こそ罪悪感を捨てて、今までの「古い女性らしさ」の枠から出て、「新しい女性らしさ」を築いていきたいです。長い間、自分の人生を生きることができなかった女性たちの分まで。

関連記事:【女性の仕事と育児の両立】たまらない罪悪感から逃れたくてフリーランスになった私が今思うこと。

この記事を監修している人

SFR代表理事:鶯千恭子(おうちきょうこ)

精神保健福祉士●保健師●養護教諭1種●心理EMDRトレ他

保育士や子育て中のお母さんたちへの講演実績多数。

「心育て」「人格形成」のスペシャリスト。

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