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母が仕事でかわいそう?現代の子どもたちは「ママと一緒に頑張れる子」

母親が仕事をもつとき、どうしても沸いてくるのは「子どもがかわいそう」という気持ちではないでしょうか。

さみしい思いをするのではないか。愛情不足になるのではないか。自分がいない間、ずっと泣いているんじゃないか……なんて想像してしまったりして、お母さん自身も不安で胸がいっぱいになってしまいます。

しかし、今や時代は夫婦共働きはとても一般的です。産休・育休を経て社会に戻っていくお母さんもいるし、子どもが幼稚園や小学校入学を期に仕事を始めるという家庭もあるでしょう。もしくは、女手ひとつで子どもを育てるシングルマザーの方もいます。

働き方や家族構成がどうであろうと、母親である以上「私が働いていては、子どもがさみしい思いをするかもしれない」という気持ちから罪悪感を抱いてしまうのです。

しかし、母親が仕事に忙しくしていては子どもがかわいそう、という考えは間違った既成概念であるということを、詳しくお話したいと思います。

親が仕事で忙しい子どもって、かわいそう?

Photo by Tanaphong Toochinda on Unsplash

結論としては、子どもと一緒に過ごす「時間」と、親子の愛情や信頼関係というのは比例するものではないといわれています。

子育てや教育の専門家として有名な尾木直樹先生は、親と子にとって一緒にいる時間の長さよりも、一緒にいる時間の質のほうが大切だと述べています。親子の時間は量より質であることは、多くの方がすでに知っていることかもしれません。

ただ、当事者である母親の気持ちとしては、それを簡単に飲み込めない……というのが実際のところではないでしょうか。

一緒にいる時間の長さは関係なく、一緒にいる時間を大切にすれば愛情不足に陥ることはない。そうは言っても、実際に一緒にいる時間の質をどれだけ高めることができるかもわからないし、質の良さとはどのようなことを指すのかも、よくわからなかったりします。

保育園に送っていくときに、子どもが泣きわめいて自分に手を伸ばしてくる様子。

お迎え要請があっても、どうしても抜けられない状態に困惑する時間。

なんども保育園から着信が入っていたのに、気づかなかったとき。

お迎えに行って、ヘトヘトで帰ってきたと思ったら、慣れない環境でストレスをためて癇癪を起す子ども。

本を読んで盛り上がったり、手遊びをして笑いあったり、手作りのあったかい食事を囲んだりすることも、なかなかできないときがあります。

そんなときに出てくるのが、できない自分を責める思考「罪悪感」と「ごめんね」という言葉です。

「いつもごめんね」という言葉を多用してしまう?

子どもを育てながら働いていると、子どもに対して罪悪感をもちます。もちろん、急な子どもの病気や園の都合などによって、職場に対して申し訳ないという気持ちを抱くことも多いですよね。

子どもと仕事、両方への「罪悪感」が突き刺さってきます。ご主人がいない場合や、協力を得にくい状況、共感してもらえない場合などもあり、そうなるとお母さんは「自分に力がなくてごめんね」という気持ちでいっぱいになるのです。

「いつもさみしい思いさせてごめんね」

「いつもお留守番させてごめんね」

という風に、子どもに対しても「ごめんね」を多用することが増えていくのです。

「ごめんなさい」という言葉に対し、筆者は個人的にとてもネガティブなメッセージを感じます。ごめんというのは「許しを請う」というような意味合いが強く、自分自身に対してとても自信がなく非力であることを許してほしいというニュアンスが含まれます。

そのため、子どもに「ごめんね」を多用することは少々危険な側面があると考えているのです。こんな親で許してね、こんなお母さんを受け入れてね、という暗いメッセージを与える恐れがあるように感じています。

働く母親の「罪悪感」は、子どもの壁になる!その理由とは……

「母親が側にいないと、愛情不足になる」というイメージは多くの人に植え付けられているのに対し、実際に母親が社会でバリバリと活躍する姿に誇りをもっているという子どももいれば、母親が楽しそうに仕事をする様子に憧れ、同じ職業を志すといった事例はとてもたくさんあります。

罪悪感をもち「ごめんね、許してね」という気持ちで仕事をする母親。仕事を楽しみ、生き生きとした表情や姿勢を子どもに見せる母親。どちらも、同じ仕事をもつ母親ですが、そこに「罪悪感」があるのとないのとでは大きな差がうまれます。

どうして、子どもと離れることに罪悪感が生まれるのでしょうか。その理由はシンプルで「母親とはこうあるべき」「親である以上こうするべき」という、べき思考の既成概念からきていると考えるのが自然です。

既成概念、古い価値観、固定観念、先入観……これらによって私たちは、理想の母親や理想の家族像を漠然としたイメージでとらえている部分があるのです

罪悪感は、無意識のところにあるのでなかなか自覚できないことも多く、言葉の端々や表情、態度などさまざまなところで子どもに罪の意識を植え付けてしまうのです。

本来、お母さんはどんなお母さんでも、子どもにとって唯一無二の存在です。唯一無二であるからこそ「罪悪感」でいっぱいの心で接することが、子どもの心にどんな壁を作ってしまうか、少し想像してみるといいかもしれません。

仕事で忙しい母親では、子どもがかわいそう……それは先入観です

母親が仕事で忙しくて、子どもがかわいそうと思うこと。これは自然な心の反応として仕方のないことではあります。

しかし子どもに対しいて「かわいそう」という言葉を使うこともまた、危険性をはらんでいるように感じます。

かわいそうとは「無力である」「みじめである」という意味をもちます。親が子どもに対してわかいそうという感情をもてば、子どもも自分をかわいそうな子、自分は弱くみじめであるというように感じてしまう場合があると思うのです。

親が子どもに対して「かわいそう」と思うのは先入観でしかありません

実際に子どもが「お母さんが仕事に行っちゃうのさみしい!」と言葉にしてくれたら、それはとてもいい反応です。

いやだいやだ!と泣き、別れがつらくなることもあります。でも、それは親子の信頼関係(愛着関係)がしっかりと育っている証拠です。そのため、決して「ごめんなさい」などと罪の意識を背負わなくてもいいのです。

子どもが親の目の前で、泣き、さみしいと言い、行かないでと怒ること。これは自分の欲求や感情を、きちんと親に表現できる「信頼関係」がある証拠なのです。けっしてかわいそうなことなどありません。さみしい・こわい・嫌だという不快感情にしっかり向き合っている、強い子どもであると考えてみてください。

不快感情を味わうことは、わかいそうなことではなく、子どもの成長において大事な経験となります。

【体験談】「ごめんね、行ってくるね」という母と接するのがつらかった

Photo by Anton Darius on Unsplash

実は筆者も、幼いころから母親が働いていて、他人の家に預けられたり、早くから保育園に通ったりしていました。そして、6歳ごろからはひとりで留守番をすることも増えました。

私は母親に対して「仕事ばかりしていてさみしい」と感じたことを覚えていません。母親が仕事に行く姿は、我が家では当たり前でした。母は、とてもアクティブでじっとしていない性格の人でしたので、やってみたいと思う仕事にはどんどんチャレンジしていく人。

ただ、私に対してはいつも「ごめんね」と言っていたことを、鮮明に、強烈によく憶えているのです。

帰りが遅くなると「ごめんね」と言います。ひとりで留守番するときも「ごめんね、行ってくるね」でした。そして家に帰ってくるとやっぱり「ただいま、ごめんね」でした。

今思うと、私は母が仕事をしていることに対してさみしさを感じたのではなく、母がいつも罪の意識を背負って私に接してくることに、重苦しくつらい感覚を抱いていた気がするのです。

それと同時に、私は母と一緒にいて一番心地いいと感じたのは「今日は、買ってきたご飯で適当に済ませちゃおうかな~」と言うときでした。母が、罪悪感や義務感から解放されてリラックスしているときでした。

反対に、とても不安になるときは、疲労をたっぷり溜めた顔で「ごめんね、今からご飯作るね……」と台所に向かっていく姿を見るときです。

母は、罪悪感から行動することが多く、子どもである私はそれを敏感に感じとりました。私を食べさせるために、家計を支えるために、母はこんなに重く暗いものを背負っている。母親の罪悪感が子どもに伝染するのは、確かなことではないでしょうか。

もちろん、罪悪感をぬぐえない母が悪いと言いたいわけではありません。核家族であることや、父が多忙であったこと、周囲に頼れる人がいなかったこと、母の性格特性や私自身の感受性などいろいろな要因が絡み合っている、ひとつのケースです。しかし「ごめんね」という気持ちでいっぱいの親と一緒に生活をするのは、子どもにとって苦しいものであると強く感じています。

母親が仕事をもつことに誇りを。子どもの「しっかりやれる」という強さを伸ばしてあげる

母親が仕事をもつことは、時代の流れとして全く特別なことではありません。もちろん、共働きで家族機能を回していくのは確かに大変なこともたくさんあります。到底母親だけでは対応できないことも増えてくるし、時にはストレスや疲労でダウンすることや不安定になることもあるでしょう。

しかし、どんなときも「罪悪感」を必要以上に感じすぎないでほしいのです。罪悪感は、家系の価値観として伝承されやすかったり、本人の責任感の強さや完璧主義であることなど性格要因も関係します。

ただ、過剰に自分を責めたり、一人で背負いすぎたりすることはしないでほしいのです。

多くのお母さんたちが、泣き別れる子どもに対して「強い子、頑張れ!」と思えるように。「ごめんね」と言って別れるのではなく「お母さんも頑張ってくるから、一緒に頑張ろう!」と、当たり前に思えるよう、世の中全体の価値観が変化していくのを心から願っています。

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