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「働き方」の問題ではない!?母親の仕事と子育て両立で見えた深層心理

子どもを育てながらの育児は、どうしても「罪悪感」がつきまといます。

不安や怖さ、申し訳なさ、うしろめたい気持ち……。

なぜ、ただ子どもを産んだというだけで、こんなにもネガティブな感情に取り込まれてしまうのでしょうか。

筆者は、小学生と幼稚園の息子を育てながら在宅でフリーの仕事をしている身。私の仕事は通勤型の仕事とは違い、いつも家にいられるし時間の融通も効きやすい環境。子育ての環境にはとても恵まれているという自覚もあります。

しかし、仕事に対して燃えたり、活動を広げることに対しての罪悪感がぬぐいきれずにいます。

在宅の仕事だから、自由が利く。子どもを優先してあげられる。そのような物理的な点では確かにその通り。

しかし、自分が活躍することや、仕事を楽しみ、没頭していくということに対して、何か変な違和感があるのです。

私は、母親が子どもを育てながら仕事をすることに対して抱く「感情」は、働き方の問題だけではないのかもしれないと思い始めています。

核家族、子育てしながらパートをしていたころの話

Photo by Celpax on Unsplash

私の家族は夫と息子と3人の核家族。お互いの実家は遠方で、気軽に頼れる場所はありません。夫は当時3交代の激務で体調を崩しながら働いている状態でした。

若くして結婚したので経済的に厳しく、息子が3歳になると同時に母親の私も働きに出る決意をしました。しかし、働き口を見つけるのには本当に厳しかったです。

私は学歴もなく、資格も経験も何ももっていなかったので、飲食や清掃などのサービス業の中から仕事を選ぶ必要がありました。サービス業は土日・祝日の出勤ができること、長期休暇や年末年始などの繁忙期も出勤できる人が最優先で採用されるのも実際のところです。

「お子さんが病気の時はどうするつもりですか?」

面接では、必ずこの点を突っ込まれます。私は何も言い返すすべがないので、毎回正直に「そのときはお休みをさせていただくことになります」と答えていました。実家に頼れない、という事実はどうしても変えられません。

不合格・不採用のお知らせが来たり、連絡が来ないまま月日が流れていったりします。面接に行くにも、子どもの預け先がありません。面接のたびに無認可の託児所を利用するほかないため、出費はかさみました。

幼稚園の満三歳児クラスへの入園を予定していましたが、入園できる時期と仕事の開始日との調整がうまくいかず、幼稚園に入園できるまでの期間は、引き続き無認可の託児所へ息子を預けていました。

毎日積み重なる託児所の料金はお世辞にも手頃とは言えず、時給750円のパート代はすべて託児所代に消えていく。何のために働いているのかと疑問になりましたが「今だけだ」と言い聞かせて、母親が仕事をするという生活に家族全員で慣れていくのが目標のような状態だったと思います。

私が働くことのできたお店は、8件目の面接でようやく採用になった場所でした。私は気が小さいので、やっと雇ってもらうことのできた職場では委縮していたでしょう。

息子は何度も何度も熱を出し、今までに一度もかかったことのないような病気をするようになります。園に通いだすと、子どもはウイルスをもらってくることが増えるので、ワーキングマザーにとっては当たり前の通過儀礼のようなものかもしれません。

しかし「私には他に働き口がない」という焦燥感によって、欠勤することへの罪悪感は倍増しました。

「この職場でダメになるわけにはいかない」という気持ちになっていくのです。幸いにも同じような主婦の集まる職場だったので、勤務を交代してもらうこともできる環境でした。

しかし、上司からの圧を感じなかったわけではありません。休んでしまった日のことをジリジリなじられてしまったり、契約時と違う時間に出勤シフトが入っていたりすることもありました。

戦力にならないことや、周囲に迷惑をかけてしまっていること、職場に馴染めない私自身の性格など、いろいろなことが相まって、私にとっては「とても居づらい職場」になっていったのです。

託児所や幼稚園からの連絡が恐怖に

息子はそれまで預けていた託児所から、幼稚園へ移ります。短期間に別の集団生活をさせることになったため、息子はとてもストレスを感じていたようです。

当時の記憶はおぼろげですが、私自身とても未熟な母親でした。適切な心理的サポートをしてあげられていなかったかもしれません。

無認可の託児所でも何度か発熱で呼び出しがありましたが、ほとんどは原因不明の発熱。ストレスが原因なのではないか……という不安を感じていました。

幼稚園に通い始めれば、今度はウイルス性の風邪や中耳炎などに頻繁にかかるようになります。仕方がないこととはわかっていても、あまりにも多い呼び出しの連絡は、私にとって恐怖になりました。

そして何より、朝起きて、息子の体調が悪いとき、園からの呼び出し連絡が入る時に「仕事どうしよう……」という気持ちが先走ってしまう自分に一番、嫌気がさしたのです。目の前にいる息子を、心の底から心配してあげられていない自分に。

子どもの心配よりも、自分の心配をしている自分。仕事先でまた肩身の狭い思いをする自分。

結局、自分がいちばん大事なんじゃないかと、自分を責める気持ちや罪悪感が雪だるま式に大きくなっていったのです。

癇癪を起す息子、夫婦のすれ違い

園から帰ってくる息子は、疲れ果てていて癇癪を起すことが多かったです。夕ご飯を食べながら癇癪を起し、そのまま泣きつかれてお風呂も歯磨きもままならず眠ってしまうこともありました。

息子は幼いころから敏感な子でしたし、今でも環境の変化にとても弱いのです。当時もきっと、園で相当頑張っていたのでしょう。家では床に寝転んで手が付けられなくなるほど暴れました。

私も仕事と家事、育児で疲れていますが、疲れている顔は見せまいと気丈にふるまいました。

しかし、夫からは「無理して明るくしているのがわかる。そういう姿を見るのは嫌だ」という指摘をもらい、とても落ち込んだのを覚えています。

だって、しかたない。

本当の姿なんてさらしたら、家の中が暗くなるし生活だって回らなくなる。

どうして。

何で認めてもらえないの。

私は何も言い返すことができず、結局その仕事を辞めました。

その後、なんとか自宅でできる仕事をしようと、前々から得意だった文章を活かして「WEBライター」の業界に足を踏み入れることになり、現在までそれが続いています。

結果的にこのアルバイト先をやめたことが良い方向に向いたのは確かですが、新しい問題に直面することになるのです。

理想の働き方を手に入れたのに、母親としての罪悪感がさらに浮き彫りに

Photo by Christin Hume on Unsplash

私はこの話を通じて「核家族では、パートやアルバイトをするのも難しい」「母親がバリバリ仕事をするのはやっぱり難しいよね」なんてことを言いたいわけではありません。

母親が仕事をするために大事なのは働き方ではなく、夫婦の関係性や母親の劣等感・罪悪感が根本的な問題であることに気づいたのです。

フリーの仕事は、楽しいのに、つらい

フリーの仕事は、根気よく真面目に継続すれば確実にステップアップしていくという、今までにない楽しさがありました。

自分のペースで、自分の得意なことを生かして、磨いてくという楽しさも、生まれて初めて味わうことができたのです。

やればやっただけ成果が出る。勉強すればしただけ、幅が広がる。それがフリーの仕事でした。新しい仕事にチャレンジすること、自分でスケジュール管理をすること、才能や実力を認められて何かを任される、声をかけてもらえる……ライターの仕事で私は人間的に成長したと感じます。

しかし、今度は仕事を楽しみ、自分のやりたいことに邁進していることに「罪悪感」を感じるようになったのです。

フリーである以上、家にいても、どこにいても、24時間365日、完全なるオフはありません。やろうと思えば常にやるべき仕事がある状態。私の場合、やらなければいけないというよりは、やりたい欲求が強くなりました。

以前は子どもと離れることや、仕事に穴をあけること、社会の役に立てないということに罪悪感を抱いていたのに、今は「自分のやりたいことに対して邁進する」ということに罪悪感を抱いているのだと気づきました。

家に子どもがいるのに、自分だけ仕事をしているなんて。

家族が眠った後に自分だけ仕事をしているなんて。

家で仕事をしているくせに、家事がおろそかになっているなんて。

全部、自分を責める思考です。結局、苦しくても楽しくても、私は自分を責めていました。仕事があってもなくても、仕事が楽しくてもそうでなくても「罪悪感」に苛まれるということ。

その背景には、夫婦関係をうまく構築できない私の心理に問題があります。

私が夫に対して、家事や子育てで協力を要請することができないのです。

子育ては母親がメインでするものだという刷り込みや、人を頼ってはいけないという強迫観念。

自分勝手に生きていると、夫は私を嫌うのではないかという「見捨てられ不安」。

今までは「うまくいかない現状」があったので、それを社会や周りの人のせいにしやすかった。「全部周りのせいだけど、自分が我慢すれば丸く収まるだろう」という思考です。

現在はどうなのかというと「丸く収まっているのだから自分は好きなことをがまんすべき」だと、無意識のところで思っているのだと思います。

結果、建設的な行動や対処をすることができず、劣等感や罪悪感に負けてしまうのです。

子育てと仕事の両立は「働き方」ではなく、自分の心の問題だった

今も私はフリーで仕事をしていますし、その仕事の内容も当時とはずいぶん変わりました。

もらい仕事がどんどん減り、自分で何かを作る仕事や生み出すこと、またそれをサポートするなどいろいろなことを手広くさせていただけるようになりました。

それを楽しいと感じる一方で、楽しいことに全力投球する自分を阻害しているものが、心のどこかにあるような気がします。

それが「罪悪感」なのです。

状況が変わっても、どこかうしろめたさがあってワクワクできない。楽しんではいけない。「母親」や「女性」という枠を出てはいけない。自由になってはいけないという、自分を縛り付けるものがあります

自分の望む方に進めば進むほど、私は母親や女性という枠から出ざるを得ない。今までの自分の生き方や考え方では、やっていかれないことが想定できるのです。

これはきっと、私自身の性格的な偏りや、今までの社会的な価値観が刷り込まれている部分なのかもしれません。結局、何を選んでも罪悪感が残るなんて、おかしい。自分が変わらなくてはいけないんだと、私は今そう感じています。

働く女性に必要なのは、お金でも働き方改革でもなく「自分の人生を生きてよい」という許可

現代では、ワーキングマザーにまつわる様々な問題が浮上しています。子どもをとるか仕事をとるかで悩む女性、子どもを理由に仕事をあきらめようとする女性、子育てと仕事の両立で心身ともに疲れ切っている女性。

たくさんの悩める女性がいます。

母親業と仕事の間で揺れ動くのは、決して時間や体力、気力の問題だけではないと感じるのです。

自分の人生を選んでいいという許可ができないこと、自分でも気づいていない罪悪感に追われているということ。手放しでハッピーになれないと感じている人は、決して私だけではないはずです。

生きていれば当然、新しい問題が浮上してくるものだし、好奇心の一歩手前には必ず「恐れ」の感情があるのも自然です。ステージが変わるたび、その都度新しい自分の深層心理に気づいていくのです。

ただ、もう性別や社会的な役割の枠から出てもいい時代になってきているはず。

私自身、今後の課題として「母親」や「女性」という枠を超えて、自分が望む人生を生きてもいいということを、自分自身で許可していかなければならないという課題を感じています。

それができて初めて、夫婦関係を改善することや、自分の意志を表明することなどができるのではないか。具体的な行動、発言、コミュニケーションの取り方など、自分のすべてが変わっていくのではないか……そんな風に考えているのです。

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