なぜ子どものゲームを制限するのか?ゲームと現代の家族事情
「子どもとゲーム」は、現代の親たちにとって付き合い方が難しいと感じているツールの一つではないでしょうか。
今の時代、ゲームをさせていない家庭のほうが珍しいし「ゲームに救われた」という体験談を話す人もいれば「ゲームから得られる出会いや知識などもある」という意見もあります。
今の時代、子どもがゲームを使って世界を広げているのは事実かもしれません。
しかしその反面でネットゲーム依存が、ゲーム障がいとして国際疾患に認められるようになったり、視力の低下が懸念されたりしています。
「結局ゲームの影響ってどうなっているの?どのくらいならやってもいいの?」という部分で迷っている方も多いと思いますし、ゲームを買い与える年齢について考えている方も多いはず。
この記事では「なぜゲームを制限する必要があるのか」をについてじっくり考察していきます。
ゲームが子どもに与える悪影響は「視力」だけではなかった!?
ゲームは100%悪いものではないし、ゲームを通じて子どもが得られる体験や感動、知識などもあります。そのため、やはり付き合い方が大事であるというのは大前提として多くの方が理解していると思います。
では「なぜゲームばかりやっていてはいけないのか?」を、私たち大人がしっかり理解しているでしょうか。
第一にゲームのやりすぎは、子どもの「ものを見る力」を奪ってしまう可能性があります。ものを見る力とは、視力のことだけではありません。
「視力が悪くなると困るからゲームをやめなさい」の理屈には説得力がない
ゲームをやりすぎると視力が悪くなるという説は確かにあります。しかし、視力低下の原因は親からの遺伝の影響もかなり大きく、はっきりと解明されていない部分もあります。
筆者も、子どもに「ゲームしすぎて、目が悪くなると困るよ」なんて言ったこともあるのですが、なんとなく自分で言っておきながら納得できていない部分がありました。
そもそも筆者はとても視力が悪く、家では牛乳瓶のような分厚いメガネをかけているのですね。そんな分厚いメガネをかけた顔で「目が悪くなったら困るでしょ」という理屈を話しても、子どもたちは納得しきれていないと思うのです。
筆者の目が悪くなったのはゲームが原因ではありませんし、目が悪くても毎日元気に生活していますから、この説明では説得力も信ぴょう性もないと感じたのです。子育てにおいて、漠然とした「将来困るから」という説明が、子どもに響くことはないと考えています。
「眼球運動が減る影響」について知る
ゲームをしているときは、目の動き、つまり眼球運動がとても少ない状態になっています。動かしていることには変わりないのですが、ゲーム中は液晶画面の中だけを目で追っています。その画面が小さくなればなるほど、視線を移す範囲が狭まってしまうのです。
一方で、外遊びやスポーツなどをするときには、視線を動かす判批がとても広くなりますよね。それだけでなく、一点をじっと見つめる動き、素早く動くものを追う動きなど、さまざまな動かし方をランダムに繰り返します。眼球の可動域が広くなり、ピントの調節がうまくできるようになります。
ゲームのやりすぎは、単純に視力が悪くなることよりも、対象のものを見る力や素早く視点を移動させる力が発達しにくくなってしまうことに問題があるというわけです。子どもの脳の発達を妨げてしまうことがある……というのは多くの大人の方に知ってほしい知識です。
眼球運動と子どもの発達についてはこちらで詳しく解説しています。
現代のゲームは「依存性」が格段に高くなっている
現代のゲームは、昔と比較しても依存しやすくできているのは事実です。
昔のゲームは、基本的に子ども向けにつくられていました。ゲームをもっていない子どもがいるのも当たり前。親がゲームというものを知らないため、大人が趣味としてゲームを楽しむことも少なかったでしょう。
しかし、現代は子どものころからゲームに親しんでいる世代が子育てをしていますよね。もちろん、親がゲーム好きであれば自然と子どももゲームに興味を持つでしょう。大人がゲームをしていれば、子どものゲーム開始が低年齢化するのは避けられません。
また、大人も当たり前にゲームを楽しむ世の中になれば、当然今までのような子ども仕様のゲームでは飽き足らなくなってきます。実際に大人が楽しめる、刺激の強い演出や機能がどんどん追加され、定期的にアップデートされるようになっていますよね。オンラインゲーム内でコミュニケーションを取れるようになったのも、依存性が高まる要因です。
さらには、ゲームの「課金」という商業的な要因も加わります。
物を買う時代から、データを買う時代になっているため、子どもたちの間でも、現実世界より仮想空間の重要度が高くなっています。現代の子どもたちは、サンタさんにゲームの課金をお願いするということも決して珍しくありません。
友達どうしで、ゲーム内のアイテムをプレゼントとして贈り合うこともあります。ものが豊かになったことで、おもちゃを欲しがる子どもは減っているでしょう。
これが悪いことだという意味ではなく、それほど仮想空間の重要度が高くなっているという事実にしっかり目を向けておく必要があると感じています。
子どもは、自分で依存をコントロールすることができません。ある程度の年齢になれば、自分で時間を決めたり、やるべきことと遊びの切り替えをしたりもできるようになります。しかし、それまでは親が生活を管理し、ルールを作る必要があるわけですね。
そのときに、やはり「なぜゲームをやりすぎてはいけないのか?」を、大人が理解しておく必要があるのではないでしょうか。
好きなことに熱中するのはいいことじゃないの?
中には、ゲームのメリットを多く語る意見もあります。好きなことに熱中することはよいことである、それがたとえゲームであっても……という意見もありますよね。
「読書やスポーツはよくて、ゲームはダメというのはおかしい」という声も実際にあります。
しかし、眼球運動が発達しにくいことや、依存性が高くなるよう作られている側面があることなどから考えてみても「やりすぎても問題ない」とは言えないのではないでしょうか。
子どもは、ゲームをやりたがる。世の中の情報の中には、ゲームを制限する必要はないという情報がある。そのふたつで親が揺れることがあるはずです。
親自身が「なぜゲームをやりすぎることが子どもの発達によくないのか」という根本的な事実を知っていれば、子どもとの約束決めや、わがままを言ったときの対応などにも困りにくくなると考えています。
ゲームの低年齢化や長時間のプレイと、現代の家族事情
現代の家庭は大人がとても忙しいです。核家族の家庭が多いため、子どもの相手をする人員も足りません。すると、親が仕事や家事、兄弟の育児に追われている間は好きなようにゲームをさせておくという状況は致し方ない側面があります。
母親がひとりで子どもをみるような環境では、当然ゲームのプレイ時間は長くなるのです。
子どもの年齢が小さければ一人遊びはなかなかできません。すると子どもは、親のところにかまってほしくて寄ってきます。
お母さんが疲れていたり、家事育児で手が離せない状況にあれば「ゲームをしていていいよ」という気持ちになってしまう……そして子どもはますます、ゲーム以外の遊びが苦手になっていくのです。
親は、自分が忙しかったり疲れたりして子どもの相手ができないことに、罪悪感を抱きます。するとその罪悪感から子どものわがままを受け入れてしまい、ルールや約束がどんどん緩くなる。つまり、甘やかすということです。
甘やかすというのは、親とのふれあいを「代用品」で埋めようとすること。甘えさせることとは違うのですね。大人が忙しすぎる現代では、もはやどうしようもない部分があるかもしれませんが、子どもの体や脳の発達にとっては、やりすぎは禁物なのです。
子どものゲームとの付き合い方は、親と子どもの付き合い方に通ずる
自分の子どもに、ゲームとどのような関わりをもたせるかという問題はとても難しい部分があります。
各家庭で生活事情や価値観が異なるため、基準をハッキリと決めることはできないでしょう。
しかし、親子の時間をもつことの大切さや、子どもとの向き合い方にも通じてくる話なのではないかと筆者は考えています。視力が悪くなるだけではないということ、また依存性があるものに対してどのように促せばよいかなど、しっかり考えていきたいと、2児の母である筆者自身も強く感じています。