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私、育児に向いてない。子育て下手な人にこそ伝えたい「愛情の技術」

「私は育児に向いていないな」

子育てをしてきて11年間、何度この言葉を頭の中でつぶやいたかわかりません。

子どもを産む前は「絶対に優しいお母さんになる」と誓ったし「子どもが泣いても優しくなだめるぞ」と意気込んでいました。自分の育った家庭を振り返って「私は絶対にあんな風に言わない」「子どもに気を遣わせたり、さみしい思いをさせたりしないぞ」と、思ったのです。

でも、実際はぜんぜんうまくいきません。当時「できる」と思った自分がなんだか浅はかに思えて、どんどん自信をなくしていくんです。

疲れていても、苦痛を感じても、目の前の子どもを置いてどこかに行くこともできなければ「助けて」と誰かに頼る勇気もない自分。

そんな悪循環に陥れば陥るほど、子どもに優しくできなくなっていきます。

「育児に向いていない」

この言葉が頭をよぎるとき、わたしはなんとなく「あきらめたい」という気持ちになっていたのかもしれません。

「育児に向いていない」そう思うのは、軌道修正のきっかけだった

Photo by Nyana Stoica on Unsplash

私が「自分は育児に向いていない」と思うとき、そこにはあきらめのような気持ちがありました。

あきらめる、というのは子育てを放棄することではなく「いい母親になることをあきらめる」という感覚です。

向き不向きというのは、自分自身の性格に対するもの。性格は、大人になってからそうそう簡単に変わるものではありません。

それに、最初から育児をあきらめている母親などいないはずです。試行錯誤を繰り返す毎日、自分の体や心の疲れと、感情との葛藤。そういった格闘を長い間続けてきてようやく「あ、自分は育児に向いていないのかもしれない」という結論に至るのだと思います。

自分の性質が、子どもを育てることに向いていないのだ。

そう判断したとき、母親の心は「今の自分にできることはすべてやっている」という感覚があるのではないでしょうか。

自分ができるだけでのことを尽くしても、なぜかうまくいかない。

今の自分がどれだけ頑張っても、どうしようもないことがある。

そういうことを受け入れたとき「育児に向いていないのだ」と判断するのかもしれない。そんな風に思います。

母親としての限界を知る

私は、子育てにおいて「母親としての限界」を知ることはとても重要だと考えています。

母親には限界があります。人にはもともと持っている素質があることも事実です。

子どもと一緒にキャッキャと遊びまわれるお母さんもいれば、子どもの遊びに付き合うのが苦しいと感じるお母さんもいる。子どもがわぁ~っと泣いたときに、おおらかに「痛かったね~、でもほら大丈夫大丈夫~!」と、自然に声をかけられるお母さんもいる一方、一緒になって不安になってしまうお母さんもいます。

筆者自身、子どもが泣いたり怒ったりすると、その感情に同調してしまい一緒に不安になってしまいやすいところがあります。ごっこ遊びやブロック遊びが苦手で、一緒にやろうと言われてもどうしてあげたらいいかわからなかったりすることも。

食事を作ることも苦手でした。好き嫌いのある子には、調理方法を工夫して試行錯誤して食べさせるといいらしい。でも、そんな育児アドバイスの通りにやってみても、口に入れることすら拒否する子。苦労して作った食事を、捨てるときの何とも言えない憤り。

「子どものためならなんでもできる」という言葉をよく聞きます。しかし正直なところ、日常生活の中で「なんでも満足にしてあげられる」ことなどありませんでした。

自分が母親であることには変わりない。

でも、母親には限界があるのだということも事実でした。

描いていた「理想の母親像」はめちゃくちゃだった

母親としての限界を知るとともに私は、自分が漠然と描いていた母親像が、とてもめちゃくちゃな設計であったことにも気づき始めました。

「こんなお母さんになりたい」「子どもにはこうしてあげたい」

いろいろな理想像があるわけですが、その理由が明確でなかったり、とんちんかんな理屈だったことも多かったのです。

たとえば「子どもには、親の弱い部分を見せるべきではない」と思っていた時期がありました。

しかし、あるとき「そうありたい理由はなんだろう?」と考えたときに、自分の頭で考えた確固たる理由がなかったことにはたと気づいたのです。

たとえば「母親はそうあるべきだ」「普通のお母さんはこうだ」という既成概念に飲まれているだけだったり、自分の母親に対する不満の裏返しだったり……。

自分の中にある「なりたい母親像」の動機がめちゃくちゃだったことに、だんだん気づき始めました。

きっと、私だけでなく多くのお母さんたちが「こんなお母さんになりたい」「母親たるもの、こうあるべきだ」という理想像があるはずです。私自身、優しくて賢くて器用で寛大なお母さんになれたらいいのにと、今現在でも思うことがあります。

でも、実際に私の力量はもう決まっているのです。それに対して「こうあるべき」「こうなれない自分はダメ」という思考をするのは、逆に現実が見えていない状態なのではないか、とも思うようになりました。

母親の限界を知ることで、ようやく現実が見えてきたようにも思います。

「自分」を知ると、子育ての解決策がわかってくる

自分は、自分がこれまで思い描いてきたような立派なお母さんではないんだ。

そう思ったとき、ようやく現実を見据えることができたように思います。自分にできないことはできないでもいい。できないときがあるのも当然。それが「日常生活のリアル」でした。

あれもこれもできる器用で頼もしいお母さんというのはもはや、夢物語だったのですね。

そして、育児を通して「自分は何が苦手なのか?」「なぜ今の育児が苦しいのか?」という一歩二歩と後ろに下がった視点で、自分自身という人間を見つめることができるようになりました。

すると「自分はこういう部分が苦手。だからここがうまくいかないポイントなんだ」「こういう状況だからうまくいかないのは当然だろう。じゃあ、どういう方法を選べばいいのか?」という具体的解決策につながる思考ができるようになっていきました。

そもそも「母親として」というよりも「自分自身」のことについて、全然知らなかったのです。自分のことは自分で全部わかっているようなつもりになっていただけで、実際は自分の得手不得手も、長所も短所も、持っているエネルギーの量も根本的な性格も、はっきりわかっていなかったのです。

これは「自分自身に関心がない」という状態だったのではないかと考えています。愛情とは、関心を寄せることでもあります。自分自身に関心がなく、自分を全く知らなかった。つまり、自分を愛していなかったのですね。

愛することっていったい何なのか、わかっていなかったのだと思います。

自分自身にしっかり関心を向け、自分のことがわかるようになると今度は「夫」や「子ども」のこともわかるようになります。関心の寄せ方、つまり「愛し方」がわかるようになるのです。

相手は何が得意で何が苦手なのか。

どんな風にコミュニケーションをとる傾向にあるのか。

どんな特徴があって、そこにはどんな規則性があるか。

子どものこの特徴は、私と夫のどちらに似ているのか。

私に似ている部分は、自分の過去と照らし合わせると解決策が見えてくるし、夫に似ているなら夫に話を聞いてみる……というように、人の扱い方がわかりはじめました。

それぞれの「個性」をしっかり見つめられるようになると「じゃあ、どういう方法をとればいい?」という次のステップが見えてきたのです。

育児に向いていないのではなく、知識と技術がなかっただけ

Photo by Isaac Quesada on Unsplash

「育児に向いていない」という言葉は、とてもネガティブな印象に感じられる側面もあります。しかし、私の場合は「向いていないな」と思ったその瞬間、何か大きな肩の荷が下りたような気がしたのです。

元々、育児に向いている素質ではないのだ。それならば「もっとできるように」「もっとがんばれ」と尻を叩くことは、とても見当違いな努力だということになるからです。

育児に向いていない自分とは、いったいどういう人間なのだろうか。何がそんなに不得手なのだろうか。どこに引っ掛かりを感じ、その理由は何なのか。

こうしてどんどん、自分という人間のできかたや、自分が育ってきた家庭の成り立ちを掘り下げていくことも、私にとって重要なことだったのです。

何事も「知識」と「技術」である

そしてもうひとつ強く感じていることは「子育ては、愛情だけでやるものではない」ということです。

愛情は、実に曖昧なものです。目に見えない、形のないもの。子育ては愛情だけでするものではないのだ、ということも自分の育児を通して痛感してきたことでした。

「子どもはどうしてこうなるのか?」「自分はどうしてこうしてしまうのか?」「夫はどうしてこう言うのだろうか?」

自分自身や子ども、家族に対する「なぜ?」というわからなさ、困り感は、愛情深さだけでカバーできません。どんなに子どものことが好きでも、その子が何を考えどうしてこんな行動をするのかがわからないと、苦しいばかり。

いくら夫のことを好きで結婚したとしても「なぜそんなこと言うの?」「なぜわかってくれないの?」という意思疎通の問題を愛情だけで乗り越えることはできないのです。

そこで大事なのは、人間に対する知識と、人を愛するための技術でした。

愛情は感情ではなく、理論からなっている部分がとても大きいです。自分という人間をしっかり把握して研究すること、そしてそれを軸として子どもや家族を見ていくこと。これはどんな人にもできるし、どんな人にも重要な「技術の習練」だと考えています。

育児は、愛情でするもの。愛情は、技術を磨くもの

育児は確かに、愛情がなければできないことです。しかし、その愛情は「技術」として磨いていく必要があるということを、私は自分の育児を通して強く感じています。

愛情を技術だととらえることは、一般的に浸透した考え方ではないかもしれません。しかし子育てや夫婦という複雑な関係性だからこそ、ぼんやりとした愛情や自分よがりの愛ではうまくいかないのです。

まずは自分自身にしっかりと関心を寄せて「私が育児に向いていないのはどうしてなんだろう?」「どこが課題なのだろう?」と「知ってあげる」「関心を寄せてあげる」ことが第一歩ではないでしょうか。

自分を知れば、相手がわかるようになります。まずは、育児に毎日奮闘している自分を精いっぱい認め「向いていないんだ。じゃあ、向いていない私はどんな人間なんだろう?」と、自分のでき方を見つめてみてください。

この記事を監修している人

SFR代表理事:鶯千恭子(おうちきょうこ)

精神保健福祉士●保健師●養護教諭1種●心理EMDRトレ他

保育士や子育て中のお母さんたちへの講演実績多数。

「心育て」「人格形成」のスペシャリスト。