子どもを愛するってどういうこと?幸せの連鎖はこうして起こる!
子どもを愛していない親はいない。
子どもを可愛いと思わない親はいない。
そんな大前提があっても、親子間での確執が生まれたり、虐待が起こってしまったりするのが現実を、あなたはどう感じていますか?
自分で産んだ子なのだから、可愛がるのが当然。子どものために一生懸命になるのが愛情である。
一見、当たり前のように思えることですが、実はそれが「凶器」になってしまう事例もすくなくありません。近年では子どもに対する過干渉な接し方を「優しい虐待」と呼んだり、親が教育熱心になりすぎることを「教育虐待」などと呼ぶようになりました。
一見子どものためを思ってのこと、愛情として注いでいるものが、子どもに心理的ダメージを与えてしまうこともある。
では、自分は子どもを正しく愛せているのか?本当に子どものためになる育て方ができているのだろうか?
そんな不安を抱える人も少なくありません。
実は、子どもや家族との関係は「愛情」だけで良好に保てるものではありません。そこにプラスしたいのは、愛するという技術です。
この記事では子どもをはじめとする「人」を愛するために必要な技術についてお話しています。
子どもを愛するってどういうこと?

子どもを愛するとは「この子はどんな人間なのか」「この子にとって必要なことは何か」を注意深く見てあげることだと、筆者考えています。
一般的に、親は子どもに対し「社会でいきいきと活躍できるように」「思いやりが持てる人間になるように」「何事にもあきらめずチャレンジできる子になるように」「しっかり働いで自立できるように」などという願いを込めることが多いです。もちろん、どれも親として抱く思いとして当然のことであるとも感じます。
しかし、親が「こんな風になってほしい」「こんな風にさせてあげたい」と思うことはすべて、「この子はどんな人間なのか?」がわかっていない限り達成できないことばかりです。
社会に出て立派に仕事ができるようにしたいのなら、今目の前にいる子どもがどんな特徴をもっていて、どんなことが得意で、どんなことに苦手意識をもちやすいのかを明確にしなければ、見立てを立てることすらできません。
思いやりのある優しい子になってほしいのなら、子どもが何に嬉しさを感じ、何に怒りや悲しみを感じるのかをしっかり見てあげ、そこから対人関係のスキルを養っていく必要があります。
しかし、ときに親は「こうするべきでしょう」「こうあるのが普通だ」という既成概念だけで、子どもに「わからせよう」としてしまう部分があります。
誰しも、無意識の部分に固定観念や既成概念をもっていて、それに従って生きていることがあります。それは特別おかしなことではありません。
ただ、子どものために何ができるかを真剣に考えたいのであれば「この子はどんな人間なのか?」を注意深く見てあげることが第一ステップなのではないでしょうか。
愛情は、相手に関心をもって接することともいわれます。
関心を寄せるとは「あなたはどんな人間なの?」と、視座を大きく広げた視点で相手を見つめることであると、私は考えています。
愛し方がわからない=親から関心を寄せてもらった経験がない
「相手に関心をもって接する」のは、なかなか難しいのもまた事実です。筆者自身、まだまだ足りていないと思うことばかり。
それは、自分自身が本当の意味で関心を寄せてもらった経験がない、という部分が否めないのではないでしょうか。
人は記憶を頼りに生きているものです。愛された記憶は、自分の愛し方として現れます。
子育て世代である私たちのそのまた親世代は、心の教育などとは無縁の時代を生きていました。戦争を生き抜いた世代に育てられ、高度経済成長やバブル景気などの「異様」ともいえる時代を生きてきた人々です。社会的風潮に惑わされることなく、自分らしい子育てや人とのかかわり方を確立できた人は少数だったかもしれません。
現代の多くの親は、自分自身が深く関心を寄せてもらえなかったことにより、自分の子どもへの関心の寄せ方が本質的に理解しにくい側面があると私は考えています。
参考記事:過去50年の社会を振り返る!新しい時代の到来と「意識的な家族づくり」
自分のことがわからないと、子どものこともわからない
親に関心を寄せてもらえなかった場合、自分というものがどんな人間なのかとてもわかりにくくなります。
子どもは親を通して、自分や社会を知ります。子どもが「これが好きなんだ!」と言えば、親が「そうなんだね、これ好きなんだよね」と一度受け入れます。
すると子どもは「そう、自分はこれが好きなんだ」と、親の言葉を通じて自分の情報を集めていくのです。
これが全くない、もしくは極端に少ない場合、自分がどういう人間なのかを認識しにくくなります。
食事の時に「美味しいかい?」と聞かれたら、子ども食べているものの味や感触について考え、返答します。
「美味しくない、好きじゃない」と言ったら、親は「そうか、あなたはこの野菜が苦手なんだね」と言う。「そっか、僕はこれ苦手なんだ」と、親の反応を通して、子どもは自分を認識していきます。
こんな関わりを繰り返し、子ども自身の中に「自分はどんな人間か」という情報が蓄積されていくのです。
しかし現代の親世代は、子ども時代にこのような接し方が徹底されたケースの方が少ないのではないでしょうか。
「そんなことをしてはいけません」「そんなことしたら恥ずかしいでしょう」「そんなことでめそめそ泣くな」「そんなものよりこっちをやりなさい」
私たち親世代はきっと、子ども時代にこのような言葉をたくさんかけられてきた可能性があります。
もちろん、ありのままを受け入れた上で教育をしてもらった人もいるでしょう。しかし、先に挙げたような言葉は私たちの幼少期では「普通のやりとり」だったように感じます。
現代の親御さんでも、このような言葉掛けをしている人はとてもたくさん見受けられます。きっと多くの人の中では「当たり前のやりとり」になっているとも思うのです。
どこでにもある、普通の、温かい家庭。その中にも、ありのままを受け入れてもらったり、本当の意味で関心を寄せてもらえたケースは少ないのではないか。
本当の意味での関心の寄せかた、愛し方を知らない人が圧倒的に多いのではないか。時代背景から家族や親子を見ていると、そんな風にも感じます。
子どもを愛するには「愛情」だけではなく「技術」が必要

つまり私たちには、子どもや家族など、身近な存在を愛するためには何をどうすればいいのか、という知恵が必要なのです。
世の中には本当にたくさんの問題が起こっていますが、そのどれもが「人間の心」が発端となって起こっているもの。世の中には、本当の意味での愛情が足りていないと思わざるを得ません。
「愛する」とはどういうことなのかを知ること。そして、本当の意味で子どもや家族を愛するには、一連の「技術」が必要だと多くの方に知ってほしいと考えています。
愛情ってなに?
愛情は、目に見えません。
「私のこと、どのくらい好きなの?」と聞く女性に、男性がちょっと困ってしまう……なんていうシーン、よくある光景ですよね。相手を好きだという気持ちはあっても、それを見せることはできません。数値にしたり、可視化したりすることのできない、とてもあいまいで漠然としたものです。
親から子への愛情はどうでしょうか。
「あなたのことを愛しているからこう言うんだよ(わかってね)」
「あなたのためを思っているからこそ、こうしてほしい(わかってね)」
愛情の大きさを語れば語るほど、子どもに親が「理解」を求めていく図式ができてしまいます。子どもは親に愛されたいと思う一心で、親の意向に沿おうとしたり親のご機嫌をとったりすることもあるのです。
愛情さえあれば、子どもはすくすく育つ……という考えは、実に大きな危険性をはらんでいるともいえます。
「子どもが可愛い、好きである=子どもに必要な愛情を与えられる」とは言い切れません。本当に子どもの健やかな成長を願うのであれば「愛情」というふんわりしたものに頼らないという考えも必要ではないでしょうか。
子どもを愛する技術とは……
「好き」という気持ちだけで、人を愛することはできません。人の気持ちは当然コントロールできるものではないし、可視化することも不可能。
ただし、相手を理解する力を養うことはできます。
「なぜこの子はこんな反応を見せるのだろう?」「なぜこの子はこれを嫌がるのだろう?」そうやって、子どもを注意深く観察し、一連のパタ―ンや法則性を見つけていくこと。これがまず、子どもに関心を寄せるということではないでしょうか。
そして「こんな対応をしてみたら、どんな変化があるだろう」「以前はこれを嫌がったのに、この部分を変えたら嫌がらなくなったぞ」というように、常に仮説検証を繰り返す……そんなイメージです。
現在では、脳科学や心理学の分野も研究が進み、ある程度人間の「心」を科学的にみることができるようになっています。
さらに、人にはすべて個性があり、発達特性も性自認も体質も、大きく異なっているという考えが定説になりつつあります。発達障害に限らず、どんな子どもも(大人も)脳の発達バランスが異なっているのです。
つまり「この子はどんな人間なんだろう?」とまず関心を寄せ、「ではこの子にあった方法や選択肢はなんだろうか?」という見立てを立てることが必要なのです。
社会的にどうであるとか、一般的にはどうであるという外的要因は関係なく「この子にとって」の視点で物事を考え、進めていく。それが子どもを愛するための技術のひとつであると、私たちは考えています。
子どもを愛する=時間をかけて自分を成熟させていく

子どもに注意深く関心を寄せること、そして個々の子どもに合った見立てをすること。これらはどれも、親自身に余裕がないと難しい部分があります。大人としての成熟度が問われるのです。
当然、子どもが生まれた瞬間からすぐに実践できるはずはありません。完璧な親などいないというのは真実です。
親は子どもと一緒に育っていく……それってどうして?
子どもは親を通して自分や社会を知りますが、逆に子どもを通して親が自分を知ることもできます。
それは、子どもにしっかりと関心を寄せて向き合っていれば、自然と自分に関心を寄せざるを得ないからです。
「私はどう感じるだろう?」と自分に置き換えて思考したり、「私は幼いころどうだっただろう?」と記憶を呼び起こしたりして、自分自身の棚卸をせざるを得なくなります。
そこで新しい自分を発見したり、自分という人間のでき方を探り直したりする場合もあるかもしれません。どれも、親の成長にとって非常に重要なプロセスです。
子どもの成長とともに、親自身もじっくり時間をかけて自分を知っていく。親が自分を知れば、家庭内の問題や課題解決の見立ても立てやすくなり、結果的に生活環境や精神的ストレスが軽減していく。そんな仕組みがあるように思えてなりません。
子どもに深い関心を寄せることで、親自身が今より少しずつ幸せになっていく……幸せの連鎖とは、このようにして起こるのではないでしょうか。